姜沆先生プロジェクト
2019年6月
イベント 睡隠 姜沆先生慰霊祭
日時: 2019年6月8日(土)10:30から(10:00受付開始)
場所: 大洲市市民会館・中ホール(2階)
会費: 無料(任意で御報謝を承ります)
主催: 睡隠 姜沆先生慰霊祭実行委員会
後援: 一般社団法人PEACE ROAD in Ehime
協力: 金山出石寺
韓国 睡隠 姜沆先生紀念事業会・霊光 内山書院保存会
(株)edaynews (株)湖南日報 (株)霊光新聞 湖南市道民新聞
<姜沆先生の紹介>
韓国の儒学者(1567~1618)
豊臣秀吉の文禄・慶長の役のおり、大津(現大洲)藩主藤堂高虎の軍に捕らえられた、朝鮮の儒学者。伊予の大津(大洲)、京都の伏見に幽閉され、その間の生活を記録に書き記し、三年後帰国した姜沆は「看羊録」と名付けた記録を刊行した。
大津城(大洲)に捕虜となった姜沆は金山出石寺の住職と交流を深め、次第に日本を理解していくようになったが、望郷の念にかられていた。慶長3年(1598)4月末、大津(大洲)から脱走して板橋(宇和島)に至った。
しかし渓谷を出たところで、検索中の藩の武士にとらわれ、引き回され、即刻打ち首になろうとしたが、まさに紙一重で先生の命は救われた。 伏見に移されてからの姜沆は、藤原惺窩、赤松広通などと交流し、儒教を教えた。姜沆先生の学識の偉大さを知った藤原惺窩は、感動し「日本、宗儒の義を唱ふる者、この書をもって原本とせよ」と書いた。
慶長5年(1600)4月2日先述した姜沆理解者たちの援助もあり、彼は公に伏見を去り、故国目指して旅立った。
<姜沆先生慰霊祭を行うようになった経緯>
今から一年前、大洲市元市の職員で会った姜沆研究家・村上恒夫先生から求道者三人(一人は韓国人で姜沆先生と同じ姜家)が大変感銘を受ける。
その後、村上恒夫先生と交流をする。村上先生は、度々、韓国から姜沆研究家として招待を受けられる。その後、三人は何度か訪問し、姜沆研究家 村上恒夫先生との出会いを意義あるものとして考える。
<意義>
日本と韓国は、一衣帯水の関係であり、しかし、近くて遠い国となっている。
民間からの行動で友好の道を開く。
姜沆先生没400年祭が昨年韓国で行われた。
大洲市は儒教と日韓関係の重要な要である。
日本と韓国の歴史的な和解のきっかけになれば幸いである。
1000里の道も一歩から。雪解けはまだ先かもしれないが、先ずは、一歩から。